BIO

このマドモワゼルがジャズを歌うと半端ない。バンドの奏でるスイングがボーカルと絡まって心地よく耳に届くと、サラ  ランクマンは珍鳥の様に軽やかになったり、サムライのように勇ましくも見えたりする。

メリル、ヴォーン、ホーン、シモンといった、先達のディヴァのように、彼女も音を自由に操る事を知っていて、感情の幅を広げることが出来る。彼女のカメレオンヴォイズは、喉から出ると、時に感動的な小さなヴェールに包まれたり、時にほろりとなるような少女時代の無垢の装いを帯びたり、自由に舞う。先達同様、サラも愛を唄い、始まりと終わりのドラマを語ったりするけど、何よりも、音楽と音楽に全てを捧げる人達と一緒に何かを造り出す愛を唄っている。

彼女はずっとジャズシンガーだったと思われるかもしれないけれど、シャトレーレアール生まれのパリっ子のサラは、ビルエヴァンスより前にドビュッシーを弾くクラシック音楽からスタートした。7歳からクラシックピアノを始め、その後ローザンヌの音楽院・オート・エコル・ドゥミュージックでジャズピアノを学び、2013年に作曲で音楽学士のディプロムを取得している。ピアノの上でデッサンをやってた訳だ。。。

« 人生の凄く早い時期から、そう、両親が連れてってくれた最初のコンサートの瞬間から、音楽こそ私の生きる道だって分かってた、音楽の中にいると自分の家にいるような心地いい気分になれるの»

歌いたいという気持ちは、いつも頭の中を廻っていたとか。でも小さい頃は、幾つか節を声に出したりして、ディヴァへの熱情を癒していたらしい。神聖なディヴァへの道を直ぐ歩む事はなかったけれど、それでもサラは自然とテクニックを習得していた。転機が訪れたのは2012年のモントルージャズフェスティバル。クインシージョーンズが審査委員長を務めた、国際ジャズボーカルコンクールにエントリーしたのがきっかけだった。驚く事に、予選を勝ち進み、見事一等賞に輝いたサラ。ジョーンズ氏のサラへの評価はゆるぎないもので、« ジャズの偉大な新星ボーカリストが誕生した »と審査結果でコメントしている。これで、本当にサラは進むべき道を歩むことになったと言える。

2年後、ダークというタイトルのカバーアルバムをファーストアルバムとして自主制作発表する冒険に出た。ここでは、サラの個人的な音楽の好みが出ており、ジュリーロンドンからニックドレーク、更にリアルブックのスタンダードナンバーにまで及んでいる。2度目の運命の転機は、ある夜、パリモンマルトルのアベス通りにあるとあるバーでサラに訪れることになった。女友達のボーカリストを聴きに行ったその場で、イタリアのピアニスト、ジョヴァンニ ・ミラバッシに偶然遭遇することになったのだ。. « 長い間尊敬していたアーティストが、まさか自分の横のカウンターでコーヒーを飲んでいて出会えるなんて、まさか想像できなかった。勇気を出して話しかけてみたわ。 » 親しい言葉を交わして、連絡先を交換して、サラのアルバムをポケットにしまってジョヴァンニは店を出たそう。それから数ヵ月後、2015年の春、アルバム・ダークのプロモーションとして、パリのプティジョーナルモンパルナスとローザンヌで2日のライヴが決まった。ピアニストが見つからなくて困っているときに、思い立ってサラがジョヴァンニに連絡したら、二つ返事で引き受けてくれることになったらしい。« 僕も、丁度ボーカリストを探していたんだよ。サラのようにハーモニーとスイングの要素を持った素晴らしいアーティストに出会ったからには、それを手放すことはありえないよ ! »って具合に。

このコンサートでの共演が、この2人のジャズミュージシャンの協力体制を決定的にした。ジョヴァンニは、経験豊かなミュージシャンで、2001年以来、ソロアルバム・アヴァンティの大ブレークをきっかけに、次々と成功を重ねて来た(17のゴールドディスク、仏・ヴィクトワール・ドゥラ・ミュージック、ジャンゴ金賞、ラインハルトジャズアカデミーグランプリなど)。数々の栄誉を手にしている彼だが、アーティストとしての自由を貫き、意欲的な挑戦を続ける姿勢は変わらない。他に誰が、ピアノ、トロンボーン、トランペットと言ったトリオに敢えて挑戦するだろう?アルバムを制作して、ジャズトリオとシンフォニーのオケとの対話を試みたりするだろう?キューバの革命的な讃歌に手をつけたり、宮崎駿のアニメ映画音楽に影響を受けた即興アルバムを録音したりするだろう?ジョヴァンニ・ミラバッシにとって、アイデアの戦いと芸術の戦いは、同じものなのだ。

幸せな事に、彼はいつも優れたサポートミュージシャンに頼ることが出来た。パーカッションのレオン・パーカー、コントラバスのジアンルカ・レンジ、トランペットのフラヴィオ・ボルトロ、トロンボーンのグレン・フェリス、それから更に、ビルエヴァンスのドラマーを後期務めたエリオット・ジグムンドといった、一流どころが声を掛ければ今でも集まってくれるのだ。サラの中にも、直ぐに新しいジャズミュージシャンとしての魅力を見つけて、それに溶け合うような試みを惜しまない。サラは懐が深く、ピアニスト、ボーカリストであると同時に作詞作曲も行なう才能の持ち主だ。« サラの最初の曲、インスパイアリングラヴを聴いた瞬間、彼女しかいない、サラはジャズをやる為に生まれてきたんだ。彼女に言ったよ。よし、あともう9曲書いてよ、そしたらニューヨークでアルバムを録音しよう  ! ». ジョヴァンニは、こうしてコーチとマネージャー役を引き受けて、一緒にアルバムを作るミュージシャンを見つけて来て、一方では彼女をせき立てて数ヶ月の間に4曲を共作で書き上げ、10曲が出来上がった。自分たちのイメージで出来た10曲は、あらゆるテンポの曲でスイングして、優美なラテンが、ビーボップの技が、それからポーター調のバラードが、英語とフランス語で変幻自在に飛び交って心地よい。中でも、アズナブールのカバー曲は、自分の曲のようになめらかで会心の出来と言える。

ニューヨークで録音する資金繰りが残るだけとなった。サラは、必要なお金を集めるのに奔走した。1ヶ月の間に、プロジェクト参加型の資金集めのスキームのお蔭で、目標額を超える資金が集まり、二人はいよいよニューヨークへ出発となった。そのニューヨークでは夢のようなミュージシャン達が二人を待ち構えていた。常連のジアンルカ・レンジに、ハービーハンコックトリオと長年組んでいるドラマーのジーン・ジャクソン、それから、デーヴ・ホランドやマイケル・ブレッカー、ギル・エヴァンスオーケストラやミングスビッグバンドといった伝説のミュージシャンとの共演も多い、トランペット、ビューグル奏者であるアレックス・シピアーギンといった面々。サラにとって、このスタジオでのセッションは夢のような経験で、« それぞれの技がこんなに自然と発揮されれば、音楽性はみずみずしく溢れ出して、ミッションは成功して、不可能な事はないって言えるわ. » とコメントを残している。 

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